不動院縁起

      宗派  /  高野山真言宗   

         

      御本尊  /  不動明王

創始は織田信長の時代元亀天正年間(1570~1580)と伝承される。

織田信長が高野山を攻めるという流言(るげん)が盛になり、一山の憂慮一方ならず、万一の場合のためそれぞれ由縁の処に引退と一定。時に当大字出生で長音法師という僧あり。従って帰郷し、大西村丸山という地に安楽院という草庵あり。この草庵は城山落城の砌(みぎり)より無住無檀となり引退処とす。しかし甚だ荒廃激しく現在の春日の地に移す。

その後、長音法師は高野山上下の刻、都祁村(つげむら)多田の来迎寺に休足し、何時一泊すれども忿怒(ふんぬ)形ノ尊が夢枕に現ずる為、不可思議な異夢と思い住持に話したところ、当山本堂に異尊の不動明王拾在あり。住持の言うに、「当山は浄土宗なり、枕上に立つは能々の因縁あり」。

長音法師倍々御所望し有難く早速に相譲致し、本尊として御迎えされるが現在本尊不動尊像である。

そののち、徳川幕府と成り、旗本奥田家の菩提寺となる。

年月経たるに長音法師の孫々…弟子に第6世 長秀あり、徳川幕府の折、此師本堂再建立し奥田家御殿より山号を中央山、寺号を龍巌寺、院号を不動院と拝領し基礎を固めた。

時は過ぎ、第22世 良基が平成31年に本堂再建立をする。これが現在の本堂である。

*五輪塔*

鎌倉時代(正和二年・1313年)作

総高179センチ


五輪塔には、

「願似此功徳 普及於一切 

我等与衆生 皆共成仏道

正和二年癸丑(みずのとうし)四月日

 願主 良禅」

との銘が刻まれている。


*宝篋印塔*

鎌倉時代(文保元年・1317)作

総高139センチ


宝篋印塔には、

「文保元年丁巳(ひのとみ)二月 日

願主禅尊(花押)

合力比丘覚信

沙弥道教」

との銘が刻まれている。

塔身の三面には月輪、

金剛界の宝生如来、

阿弥陀如来、

不空成就如来の種子が薬研(やげん)彫り、

地蔵菩薩が半肉(はんにく)彫りされている。